能登仁行和紙 を つくる人


     とおみ しゅうさく

初代・遠見 周作

戦時中、旧満州で竹を材料にした紙すきを見たことがきっかけで、1949年頃から仁行で和紙づくりを始める。

一般的な白い紙にとどまらず、杉皮や竹、草花、海藻などありとあらゆるものを紙にした。

野性的で、他に類を見ない和紙、周作の人柄から全国、海外にまでファンが多かった。


        とおみ きょうみ

2代目・遠見 京美

17歳で遠見家に嫁ぎ、義父である周作の和紙づくりを手伝う。

野の草花を漉きいれる「野集紙」は、輪島で生まれ育ち、土地のこと、自然のことをよく知るからこそ生み出せる感性の作品。

笑顔が魅力的で会う人を惹きつける。


        とおみ かずゆき

3代目・遠見 和之

京美の息子。周作の孫。

東京の和紙店で修業後、帰郷して仕事を継ぐ。

"THE 職人”な性格で、黙々、着々とつくる。つくれないものはないと言いきれるほど器用で、どんなことも受け入れる大らかさから

多くの人に頼りにされている。